みなさんこんにちは。
2018年7月30日に放送される
「プロフェッショナル仕事の流儀」
で農業経営者の多田克彦さんが
出演されます。
自社ブランドを立ち上げて製品に
自分の名前が入ってるという特徴が
ある
のですが、どのようにして
誕生したか気になります。
自社で生産した牛乳を使って
色んな商品も開発してるようです。
今回は多田克彦さんの経歴や
お店の場所など気になったことを調べてみました。
多田克彦さんのプロフィールは?
出典:https://tv.yahoo.co.jp/
名前:多田 克彦(ただ かつひこ)
生年月日:1955年
出身地:岩手県遠野市
学歴:明治大学
職業:(有)多田自然農場代表取締役
多田さんは最初から農業経営者ではなく
地元の農業高校を卒業して、遠野市役者所に
就職してますが、なんと一日で退職してるんです。
その後は20万円だけをもって上京して
一浪して明治大学に合格しています。
大学卒業時には東京の一流企業にも就職が
決まってたようなのですが、それを蹴って
再度、遠野市役所の試験を受けて就職してるんです。
故郷が気になったんですね。
そして市役所に勤めるのは10年と、
自分で期限を決めてました。
新しい農業で食べていこうと思ってた
ようなんです。
日中は役所で働いて、夕方や休日は
農業の為の7勉強をしたり
ボーナスで牛を飼ったりと準備を進めて
いたんです。
若い頃から凄いエネルギッシュだし
将来を見据えて今出来る行動を
する方なんですね。
多田克彦さんが乗り越えた困難は?
時代を先に走る人には多くの苦労が
ありますが、多田さんもそんな一人だったんです。
どんな大変な困難を乗り越えてきたのか
まとめてみました。
市役所を退職し、退職金や借金で
乳牛200頭を買い付け事業をスタートするも
牛肉の自由化で牛の価格が大下落して
借金が数億円になる。
生乳の生産調整の為に農協から
毎日200kgの牛乳を捨てるような指示が
あり、収入源を断たれそうになる。
指示に歯向かったことで農協から脱退処分を
くらってしまい、搾った牛乳の売り先がなくなる。
そこで苦肉の策として自社ブランドを
作り、注目は集めるけど多田さんは発売した
「低温殺菌牛乳」は、当時珍しく
消費者には受け入れられなかった。
(現在はスーパーでよく見かけますね)
大型台風来襲により乳牛の堆肥が周辺住民の
使用する地下水に流れ出て警察沙汰になる。
この事件の影響で近隣住民とトラブルになり
地元スーパーから商品撤退。
地元で味方を失うことに。
人手不足から雇った外国人が不法滞在だった。
製造委託先を乗っとられて
「多田克彦」の商標権も奪われる。
そして多田さんは生きるために地元を
捨てて、首都圏へ行き、死に物狂いで
バイヤーに営業をかけたんです。
沢山門前払いをくらいながらも
営業を続けた結果、同じ岩手県出身の
百貨店の幹部の方の目に留まり、
声をかけられたことから首都圏の
百貨店に商品を置いてもらえるように
なったんですね。
多田さんが経験してきたことが
想像以上に大変そうでした。
よく諦めなかったなと
ただ感心するばかりです。
多田克彦さんの商品の販売店は?
多田さんの会社の製品が
買えるお店は全国にあるようですね。
置いてる商品や店舗は詳しくは直接
お店に問い合わせしてみないと
わかりませんが、ざっと調べると沢山ありました。
道の駅遠野 風の丘内
が一番商品が豊富そうですね。
岩手県
みずかみ/アクティマーケットプレイス
結いの市/盛岡イオン南
川徳壱番館 内丸/キューブⅡ
パワーアップバリュー水沢
かわさき道の駅
道の駅遠野 風の丘内
北海道
ふなきストア
相澤食料百貨店
青森県
ヤマヨ十和田
秋田県
ダイサンクレタ
宮城県
仙台駅/伊達のこみち「いろといろ」
ピボット
グリーンマート
福島県
ピボット
鎌倉屋
東京都
三越 銀座/日本橋
大森 ダイシン百貨店
いなげや「ブルーミング・ブルーミー」ほか
ディーン&デルーカ
恵比寿 ワインマート
吉祥寺 アンテナショップ「麦わら帽子」
スーパーノムラ屋
麻布十番 ナニワヤ
信濃屋食品館
紀ノ国屋
神奈川県
大野屋
西武 小田原
地場屋ほっこり
デリスタスエヒロ
ロピア
千葉県
主婦の店
T・マート
しげのや
埼玉県
味一屋
ヤオコー ららぽーと富士見/坂戸千代田
富山県
アップルサンショウ
福井県
ヤスサキ
新潟県
マルセン
石川県
どんたく
静岡県
ヒバリヤ
愛知県
渥美フーズ
ディーン&デルーカ
山彦
大阪府
コーヨー
大近
阪急キッチンエール関西(宅配)
広島県
ナチュラルマーケットイコウ
福岡県
ディーン&デルーカ
熊本県
インパクトワン
台湾
有元
全部のお店に沢山あるわけでは
ないと思いますが、見かけたら
手に取ってみたいですね。
まとめ
多田自然農場の商品は
どれも安心して食べることのできる
安全なものだけなんです。
現在では安心・安全は割と
当たり前になりつつありますが
多田さんは農業を始めた当時は
珍しかったのでしょうね。
信念をもって作るいい商品は
今後生き残るでしょうね。
私もいい商品を買い付ける賢い
消費者になって支えていきます。