こんにちは、ナゴミです。
2017年7月17日に「ハートネットTV」でエクストリームペインターのTAKAさんが出演んされます。
エクストリームペインターとは?口にペンをくわえ、絵を書くことをいいます。
何故エクストリームペインターになったのか?
どんな過去があったのか調べてみました。
TAKAさんのプロフィール
出典:https://readyfor.jp/
本名:松嶺 貴幸(まつみね たかゆき)
生年月日:1985年
出身地:岩手県雫石町
4歳の頃からスキーを始めたTAKAさん。
将来の夢はフリースタイルスキーで世界を目指していたんです。
4歳から始めたスキーなので、相当実力派あったのでしょうね。
2002年、16歳の時、スキーの事故で脊髄を損傷し、四肢麻痺になってしまったんです。
肩から下が動かなくなってしまったんです。
思春期の男の子がある日突然、体の自由がきかなくなるということで、TAKAさんはどんな辛さを味わったんだろうって思います。
でも、TAKAさんは明るいんです。凄いですよね。何故明るくいられるんだろう。
もしかしたら少しでもどん底な気持ちにはなったのかもしれませんが、すぐに向上心を出したんです。
TAKAさんのお母さんの影響もありそうです。
お母さんはそんなTAKAさんに向かって「一人で生きなさい」と突き放したそうです。
TAKAさんの性格を分かっていたのでしょうね。
「お世話にならずにやってやる!」という気持ちを起こさせたのでしょうね。
両親は陰では全力でTAKAさんを応援していたから一人暮らしで何も出来ない自分にぶち当たっても、自暴自棄にならずに乗り越えられたのでしょうね。
エクストリームペインターになった経緯は?
高校を中退して2年間の入院生活をへて車いすで生活出来るまでに回復したTAKAさん。
「障害者だから何もできないという固定概念を壊したかった」
2004年には一人暮らしをはじめ、口に棒をくわえてキーボードを操作し、ホームページをプログラミングする仕事で生計を立てたんです。
仕事はあったけど、大学生活への思いを捨てきれなかったんですね。
猛勉強の末に高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格して米カリフォルニア州のサンタモニカ大に留学しました。
アメリカの大学に在学中に、TAKAさんと同じ脊髄損傷で両手足が不自由となった女性が描いた風景画に出合い、衝撃を受けたんです。
「これなら自分が健常者と同じステージで勝負できる」と直感したんだそうです。
そして、下宿先に帰って、すぐにペンをくわえ、ノートと向き合うけど思うような線がひけず、ミミズのような波打った線しかかけなかったそうです。
ノートに何万回も繰り返し線を描いて練習し、その後も、独学で技術を磨いたんです。
線を描くということから始めてるんですよ。努力は相当なものだということが想像つきます。
出典:https://readyfor.jp/
他にどんな活動をしてるの?
TAKAさんは東日本大震災が起きた時に車いすの自分は何も出来ないと無力感を感じていたんです。
それでもなんとか被災地とかかわりを持ちたくて思いついたのが、手軽に入手できる木材を活用して、バリアフリーに貢献できるスロープだったんです。いわゆる持ち運びが出来る携帯スロープです。
津波で大きな被害を受けた陸前高田市の木材加工会社に作製を依頼して、復興に繋げようとしたんですね。
そのスロープを「ランプ」と呼び、2012年10月に一般社団法人「ランプアップいわて」を設立したんです。
このスロープはTAKAさんが描いた流線型の粋なイラストを特殊印刷したタイプもあって、福祉用具にはとても見えないんです。
その後、全国に活動の輪を広げ一般社団法人「ランプアップJAPAN」を設立しました。
出典:https://mainichi.jp/
障害者だから何も出来ない・・・とんでもないですね、世の偏見でさえ変えちゃってます。
まとめ
TAKAさんは今現在は一日5回の訪問介護サービスを受けながら一人暮らしをしています。
ただ、生活をするのも大変だろうに、作品を描いたり、スロープにかかわる仕事をしたりと多忙な毎日を送っています。
なんてかっこいいんだろうって思います。
TAKAさんを見てたら甘えた自分が恥ずかしくなります・・。
素敵な生き方で同じ悩みを抱えてる方には励ましになるかもしれません。
エクストリームペインターTAKAさんが今後どんな素敵なデザインを世に出すのか楽しみです。