こんにちは、ナゴミです。
2017年4月17日の「あの時!スゴかった人~一流アスリートが驚いたアノ人大追跡」という番組で、高橋尚子さんが驚いたという、100mで日本記録を出したラグビー部員だけど、ラグビーの試合に出るために世界陸上を辞退した方が、当時の秘話を告白されるそうです。
誰だろう?と思い調べたら該当した方がいらっしゃいました。
中道貴之さんという方です。
どんな方なのか調べてみました。
中道貴之さんのプロフィール
出典:http://www.jiji.com/
本名:中道 貴之(なかみちたかゆき)
生年月日:1969年4月17日
出身地:三重県
最終学歴:日本大学
中道さんは三重県立木本高等学校だったのですが、そこではラグビー部に所属していました。
2年生の時にウイングとして全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場されています。
3年生の時に、俊足をかわれて5月の三重県高等学校陸上競技春季大会で初めて100mを走り10秒2(手動)の高校新記録をマークしました。
そして、6月に行われた日本陸上競技選手権大会100mでは、10秒73と3位に入り、5回目の公式レースとなる7月の三重県陸上競技選手権大会100mで10秒1(手動)の日本タイ記録をマークしたそうです。
「足の裏すべてを使わず、つま先で走るから速い」と言われていたんだそうです。
同じ年の8月に、ローマで開催される世界陸上競技選手権大会の出場を日本陸上競技連盟から要請されけど、ラグビーを理由に辞退しているんです。
高校当時はまだラグビーの方に情熱がいっていたのでしょうね。
でも、中道さん、ラグビーでも花園にはいったのですが、選手としては出場はしませんでした。ケガかなにか?とか周りでささやかれていたようなのですが、本当のところは、陸連から怪我を恐れて止められていたとのことでした。
大人の事情ですね。
ラグビー部でありながら、次々と記録を出していってたんですからね。まぁ、周りの大人はほっとかないでしょう・・。
中道貴之さん大学から陸上に転向
日本大学に進学してからはラグビーではなく陸上競技に専念して、走法を指導者のもとで、磨きました。陸上に関しては素人だったという中道さんなので、ちゃんとした陸上の指導というのは、大学で受けるのが初めてだったのでしょうね。
大学時代は日本陸上競技選手権大会や、アジア陸上競技選手権大会などで活躍したものの、自己記録から遠ざかっていました。
きっと、中道さんの走りのスタイルは、走法の指導を受ける前の手つかずのままの時の方があっていたのだろうと後から言われていたようです。
もともとラグビーで活躍してたであろう中道さん、陸上でも活躍した中道さん、いわば二刀流だった中道さんですが、公式の競技大会にちょっと出て記録をだしてしまったばかりに周りが放っておかなくなったんです。
もし・・なんて言ってたらご本人に失礼かもしれませんが、ラグビーを続けてたら誰からも追いつられない選手になってたかもしれないですね。
まとめ・その後
大学卒業後はミズノに就職された中道さんですが、そこでも陸上をやっていました。
ですがもう目立った結果を出せずに1996年に27歳で引退したそうです。
現在は、地元の三重県で教員になっており、陸上競技のコーチを務めているんだとか。
当時の秘話とは何でしょう?まだ隠された何かがあるのでしょうか?